[南は古新宿町、西南は万町、東は山王口及び山王村・東海道沿いに東西に延びる町人町]江戸時代前期、この町は、城の大手口の変更によって東海道が北寄りに付け替えられた時にできた新町です。町は城下の出入口である「山王口」に接していたので、藩主帰城の時の出迎場であったほか、(注)郷宿や茶店が並び、城下に2軒あった小田原提灯づくりの家のうち1軒がありました。この町の名の初出は、正保2年(1645)の藩主稲葉氏の「自分日記」に『新宿足軽小屋』、『新宿通町御番所』などとあります。このように、早くから城下の東の出入口であることを示しています。天保初期(1830年代)、町内の戸数は124軒でした。(注)郷宿とは、公用で藩役所などへ出向く村人が泊る宿屋のことです。
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