[北は三の丸の掘、南は茶畑町、西は筋違橋町、東は中宿町・東海道沿いの町人町]この町は、「北条家朱印状」(1572年)に初めて町名が見られます。町名の由来は、この町から城内にかけられていた橋の名前によりついたといわれています。町内には小田原北条氏時代からの旧家(注)「外郎家」があり、江戸時代末期には本陣1、旅籠が10軒ほどありました。天保初期(1830年代)、町内の戸数は39軒でした。(注)外郎家は、永正元年(1504)、北条早雲の招きに応じて京都から小田原に移り住み祖先伝来の秘薬「透項香(とうちんこう)」を製造販売しました。江戸時代には町の名誉職である宿老の地位にありました。また、同家の八棟造は有名で、浮世絵などにも描かれてしますが、大正12年の関東大震災により崩壊してしまいました。
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