元蔵(もとぐら)

この地名は、小田原城絵図の一つである「万治図」(1660年)に初めて見られます。 この名は、小田原藩主稲葉氏時代(1632~85年:寛永9年(1632)、稲葉正勝が下野真岡城(栃木県)から移って小田原藩主になり、正勝・正則・正通を経て、貞享2年(1685)、正通が越後高田城(新潟県)に転封されるまでの3代53年間)、小田原城三の丸堀の北方に「新蔵」がつくられたため呼ばれるようになったと考えられています。 新旧2ヵ所の蔵は、米蔵屋敷として使われていましたが、江戸時代末期になると蔵の機能は新蔵に移り、この元蔵は5軒ほどの藩士屋敷に分割されました。この頃、元蔵の名は弁財天の地名に含まれます。なお、元蔵は、「本蔵」とも記されたことがあります。
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