水主長屋(かこながや)

この地名は、小田原城絵図の一つである「万治図」(1660年)に「御船小屋」と並んで「水主(一般に水軍の性格をもった船乗り)長屋」の名が見られます。これが地名になったのは、いつ頃かわかりません。 江戸時代末期、ここには、藩士の家1軒、長屋3軒のほかに水車小屋(車屋ともいう)がありました。この水車小屋は、浜新田のために使われたものと考えられます。なお、この土地は、水主屋敷とも呼びました。
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