この土地名は、「貞享三年御引渡記録」(1686年)に初めて見られます。この一帯は、武家地で中級の藩士が住んでいました。 町名の由来について、「新編相模国風土記稿」(1841年)には、この地が小田原北条氏の家臣狩野宅跡のためと記され、また、「狩野古法眼」(絵師狩野派の第2代元信(1476から1559年)で、室町将軍に仕え、土佐光信のむすめむこになり、「法眼」に叙された)が住んでいたという地元の伝承をも伝えています。 なお、この地は、「金殿小路(かねどのこうじ)」とも書かれました。
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