安斎小路(あんざいこうじ)

この地名は、小田原絵図の一つである「延宝図」(1675年)に初めて見られます。地名の由来は、この地内に、小田原北条氏の待医(たいい:大名などのおかかえ医師)田村安斎(栖)宅があったためといわれています。 なお、小田原北条氏(北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の北条氏5代(1495~1590年))第4代の氏政と弟の氏照は、豊臣秀吉の「小田原攻め」(豊臣秀吉が九州征伐後に全国統一の総仕上げとして、関東最大の勢力であった小田原北条氏を滅ぼした戦い)に敗れた後、この家で自害させられたと伝えられています。
スポットカテゴリ 小田原歴史探訪>>旧町名>>小田原城南西部