隅屋敷(すみやしき)

小田原城の二の丸と三の丸の堀に挟まれた場所は、江戸時代には藩の重臣屋敷で占められ、ほぼ長方形の区画の屋敷が並んでいました。 しかし、南西角のこの一角だけは三の丸の堀が屈折するため屋敷は方形にならず、三角形の屋敷となりました。後期大久保氏時代(1686~1871年:大久保忠隣のひ孫忠朝が下総佐倉城(千葉県)から移って小田原城主となり、その後10代で明治維新を迎えるが、この約180年間の大久保氏のこと)になると、ここを区分けして割屋敷とし、文政年間(1818~29年)には5軒の藩士の住まいがありました。 藩主稲葉氏の「永代日記」の明暦2年(1656)の項に「角屋敷」とあり、『武家屋敷を二軒に割った』とあります。
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