小田原北条氏時代(北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の北条氏5代(1495~1590年))の小田原城は、丘陵地と低地を含む広大な城郭でしたが、主力は、丘陵地に置かれました。 鍛冶曲輪は、この丘陵地の二の丸外郭と三の丸外郭を兼ねた内側にあって重要な曲輪であったと考えられます。この地には、寛文2年(1662年)以降、刀工藤原清平(ふじわらのきよひら:出身地は加賀(石川県)で、承応1年(1652)には江戸に住んでいました。寛文2年(1662)、清平は小田原城主稲葉正則に召し抱えられ、小田原城内の八幡山に移り住み、刀を製作した)が住んでいたといわれており、江戸時代末期頃には、「清平屋敷跡」と伝えられている場所もありました。なお、「相州八幡山住藤原清平」銘をもつ刀剣も残っています。 また、「清平屋敷跡」から「ホト石」と呼ばれるつくばいのような石が出土したため、このあたりは「石の丸」との別称もあります。この「ホト石」は、現在小田原城本丸の広場に保存されています。
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