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御組長屋(おくみながや)
御組長屋(おくみながや)

 この地名は、小田原城絵図の一つである「天保図」(1839年)に初めて見られます。 江戸時代前期、小田原城下の山王口、板橋口や井細田口の三つの出入り口の沿道には、先手筒(さきてづつ:鉄砲を扱う者)や先……

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十王町・抹香町(じゅうおうちょう・まっこうちょう)
十王町・抹香町(じゅうおうちょう・まっこうちょう)

十王町は、小田原城絵図の一つである「万治図」(1660年)に初めて地名が見られます。この地名の由来は、この地が教徳寺の門前で同寺に十王像(死者のさまよい行く世界でその者の生前の罪を裁く10人の王をいい……

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御浜御殿(おはまごてん)
御浜御殿(おはまごてん)

この地名は、幕末、藩主の下屋敷である御浜御殿がこの地に設けられたので、この名がつきました。この御殿は、文久2年(1862)の参勤交代制の廃止とともに、江戸より戻ることとなった藩主大久保忠礼の奥方「浄心……

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隅屋敷(すみやしき)
隅屋敷(すみやしき)

小田原城の二の丸と三の丸の堀に挟まれた場所は、江戸時代には藩の重臣屋敷で占められ、ほぼ長方形の区画の屋敷が並んでいました。 しかし、南西角のこの一角だけは三の丸の堀が屈折するため屋敷は方形にならず、三……

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北村透谷生誕地碑
北村透谷生誕地碑

昭和29年5月建立。この石碑の裏手に透谷の生家は建っていた。北村透谷は日本近代文学の先駆者として時代がたつとともに評価されている。碑文の執筆者・堀越英は透谷の息女。

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御厩小路(おうまやこうじ)
御厩小路(おうまやこうじ)

この地名は、「寛文九年火災報告に関する文書」(1669年)に初めて見られます。地名の由来は、西海子小路がこの小路に交差した地点の西側に小田原藩の馬屋があったことによります。 承応2年(1653年)、小……

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薬博物館(済生堂薬局小西本店)
薬博物館(済生堂薬局小西本店)

薬研や秤、明治・大正時代のお店の写真などを展示しています。建物は、関東大震災で倒壊した明治時代のものを大正年間に復元したものです。石造りの薬種蔵を内包した純和風の木造建築です。

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水主長屋(かこながや)
水主長屋(かこながや)

この地名は、小田原城絵図の一つである「万治図」(1660年)に「御船小屋」と並んで「水主(一般に水軍の性格をもった船乗り)長屋」の名が見られます。これが地名になったのは、いつ頃かわかりません。 江戸時……

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御用所(ごようしょ)
御用所(ごようしょ)

 地名の由来は、この地に藩の御用所があったためです。 御用所は、はじめ箱根口門の東隣りにありましたが、その後、三の丸の旧渡辺家屋敷跡に移されました。幕府には母屋を囲んで、敷地内に6棟の建物が見られまし……

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小田原アリーナ(小田原市総合文化体育館)、テニスガーデン
小田原アリーナ(小田原市総合文化体育館)、テニスガーデン

●小田原アリーナ平成9年1月にオープン。メインアリーナ。観客席、固席2534、移動席924●小田原テニスガーデン平成9年7月にオープン。16面の砂入り人工芝。8面は夜間照明設備がある。

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