物語

2012年04月20日 00:00

第2話 江戸時代の小田原宿

十一万三千石の城下町にある小田原宿は箱根峠を控え江戸を出てから二泊目を目的として箱根越えの準備をするために大変重要な位置にあります。強い人は一気に超える事が出来たかもしれませんが、四里(16.6km )先には箱根宿もあり多くの人が利用したと思われます。
小田原城下の東海道筋には現在設置してある石碑が示すように江戸側から歩くと江戸口見附(山王見附)があり江戸初期には外濠、土塁を撤去し桝型を造り番所を設置し通行人の監視にあたりました。

新宿町(しんしゅくちょう)、万町(よろっちょう)、高梨町(たかなしちょう)、宮前町(みやまえちょう)、本町(ほんちょう)、中宿町(なかじゅくちょ う)、欄干橋町(らんかんばしちょう)、筋違橋町(すじかいばしちょう)、山角町(やまかくちょう)、板橋見附(上方見附)と続き板橋見附は城下の西端に 位置し外側は板橋村、矢来門が建てられ土塁は石垣、内側には御番所があり藩士が通行人の監視をし、門の外側にも尻番所を置きました。通行は北に折れ西に向 かうため外から中が見えないようになっていた。東海道本通りの南側は「脇町」と呼ばれ古新宿町(こしんしゅくちょう)、千度小路(せんどこうじ)、代官町 (だいかんちょう)、茶畑町(ちゃばたけちょう)があります。

小田原は古代から交通の要地であり、町は平安時代には形作られていました。1495 年~1590年北條時代には北條の城下町として繁栄し、江戸時代には大久保、阿部、稲葉、大久保、歴代城主の城下町であり大宿場町であったのです。 

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