9 位 2 Hit安斎小路(あんざいこうじ)この地名は、小田原絵図の一つである「延宝図」(1675年)に初めて見られます。地名の由来は、この地内に、小田原北条氏の待医(たいい:大名などのおかかえ医師)田村安斎(栖)宅があったためといわれています…… |
9 位 2 Hit毒榎平(どくえだいら)この地名は、小田原城絵図の一つである「加藤図」(1614~32年)に「とくえ山」の名で初めて見られます。 また、「延宝図」(1675年)には、現M・R・Aハウスアジアセンター付近の外、ここに大きく「…… |
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9 位 2 Hit箱根口門跡古くは欄干口とも呼ばれ小田原城三の丸の大手口、幸田口と並ぶ重要な虎口の一つであった。当時は厳重に出入りがチェックされ、町人等はみだりに通ることが出来なかった。現在、箱根口門跡は桝形の東半分が保存され、…… |
9 位 2 Hit御組長屋(おくみながや)この地名は、小田原城絵図の一つである「天保図」(1839年)に初めて見られます。 江戸時代前期、小田原城下の山王口、板橋口や井細田口の三つの出入り口の沿道には、先手筒(さきてづつ:鉄砲を扱う者)や先…… |
9 位 2 Hit鉄砲矢場(てっぽうやば)この地名は、小田原城絵図の一つである「嘉永図」(1853~67年)に初めて見られます。 この地は、小田原北条氏時代(北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の北条氏5代(1495~1590年))につくられた小…… |
9 位 2 Hit須藤町(すとうちょう)この町は、「貞享三年御引渡記録」(1686年)に初めて町名が見られます。 町名の由来は、「新編相模国風土記稿」(1841年)によると、小田原北条氏の総職人頭で、北条氏の領内の職人を統括する立場にあった…… |
9 位 2 Hit梅万資料館(欄干橋ちん里う)明治初期創業。古い梅干やいろいろな梅干しの種を展示するほか珍しい食材(梅干の黒焼きや烏梅)の展示・販売など行っています。また、美味しい自家製梅干の漬け方も教えてくれます。 |
9 位 2 Hit御浜御殿(おはまごてん)この地名は、幕末、藩主の下屋敷である御浜御殿がこの地に設けられたので、この名がつきました。この御殿は、文久2年(1862)の参勤交代制の廃止とともに、江戸より戻ることとなった藩主大久保忠礼の奥方「浄心…… |
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