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20 位 1 Hit上幸田(うわこうだ)この地名は、小田原城絵図の一つである「延宝図」(1675年)に初めて見られます。地名の由来は、下幸田を含めて小田原北条氏時代(北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の北条氏5代(1495~1590年))、北…… |
20 位 1 Hit八反畑(はったんばた)この地名は、「貞享三年御引渡記録」(1686年)に初めて見られます。 この土地は、もと周囲を武家地などに囲まれた四辺形の区域で、小田原北条氏時代(北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の北条氏5代(149…… |
20 位 1 Hit宮前町(みやのまえちょう)[北は宮小路、南は千度小路、西は本町、東は高梨町・東海道沿いに東西に延びる町人町]この町は、「北条氏康朱印状」(1566年)に初めて町名が見られます。この頃、この町は「上町」、「下町」に分かれていたと…… |
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20 位 1 Hit御前曲輪(ごぜんくるわ)この地は、谷間の窪地で、以前は土塁や空掘がある城郭遺構でした。 昭和27年、市営陸上競技場の造成工事に、この楕円形の凹地の最奥部から炉壇をもつ敷石遺構が発見されました。この遺構は、現在陸上競技場の管理…… |
20 位 1 Hit七枚橋(しちまいばし)この地名は、「文化十四丑年類焼録」(1817年)に初めて見られます。橋は、抹香町から大新馬場に通づる道路と護摩堂川(ごまどうがわ:小田原城三の丸の水を排水するために設けられた水路で、現在ではみられな…… |
20 位 1 Hit万町(よろっちょう)この町は、藩主稲葉氏の「永代日記」、承応3年(1654)の記事に初めて町名が見られます。町名は、古くから「よろっちょう」とよばれていました。 町内には、藩主帰城のときの藩御用町人の出迎え場があったほ…… |
20 位 1 Hit諸白小路(もろはくこうじ)この地名は、「貞享三年御引渡記録」(1686年)に初めて見られます。小田原藩主稲葉正則の時代、この地に上方から杜氏(とうじ:酒をつくる頭または職人)を招いて諸白酒(もろはくしゅ:仕込み用の蒸米も麹米も…… |
20 位 1 Hit代官町(だいかんちょう)この町は、「貞享三年御引渡記録」(1686年)に初めて町名が見られますが、これより前の小田原北条氏時代(北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の北条氏5代(1495~1590年))には、「代官小路(だいかん…… |